客先常駐で苦しんだ私のプロフィール|同じ悩みを持つあなたへ

基本情報

  • 年齢: 29歳 (2025年時点)
  • 性別: 男性
  • 最終学歴: 地方国立大学 工学部 情報工学科卒業
  • 職務経歴:
    • 1社目:中小SES企業 – 4年間勤務 (22歳~26歳)
    • 2社目:自社開発も行う中堅IT企業 – 3年間勤務 (26歳~現在)
  • 居住地: 東京都内(一人暮らし)
  • 年収:
    • 1社目最終年収:約320万円
    • 2社目現在年収:約550万円
  • 趣味:
    • 学生時代:プログラミング、オンラインゲーム、SF映画鑑賞
    • 1社目時代:ほとんど趣味に時間を割けず、休日は寝て過ごすことが多かった。唯一の気晴らしは深夜のコンビニスイーツ。
    • 現在:観葉植物育成、技術書を読むこと、週末の料理、時折友人とボードゲーム。

生い立ちと学生時代

父親は地元の中小企業に勤めるサラリーマン、母親はパートタイマーとして働きながら家計を支える、ごく一般的な家庭環境です。

一人っ子で、幼い頃からどちらかというとおとなしく、一人で黙々と何かを作るのが好きな子供でした。レゴブロックやプラモデルに夢中になり、説明書を読み解きながら複雑な構造物を完成させることに達成感を覚えていたのを今でも覚えています。

小学校高学年の頃、父親が仕事で使うために購入したパソコンに初めて触ってみました。

最初は簡単なゲームで遊ぶ程度でしたが、次第にパソコンの仕組みそのものに興味を持つようになります。中学生になると、インターネットを通じてプログラミングという世界を知り、独学で簡単なウェブサイトを作ってみたり、フリーのゲームエンジンで遊んだりするようになりました。

自分の書いたコードが画面上で形になることに興奮と面白さを感じ、この頃から漠然と「将来はコンピューターに関わる仕事がしたい」と考えるようになります。

地元の進学校に進学後も、数学や物理といった理系科目が得意で、特に論理パズルを解くような問題が好きでした。

大学受験では、迷わず工学部の情報工学科を選択。地元の国立大学に合格し、親元を離れて一人暮らしを始めます。大学では、より専門的なプログラミング技術や情報理論、アルゴリズムなどを学んでいました。

特に興味を持ったのはAIや機械学習の分野でしたが、当時はまだそれほどメジャーではなく、基礎的な学問が中心でした。

この頃から、IT技術が社会をより良く変えていく未来を信じて疑わず、自分もその一翼を担えるようなエンジニアになりたいと夢見ていました。特に、革新的なサービスやプロダクトを自らの手で生み出すことに強い憧れを抱きます。

就職活動と最初の会社

大学3年生の後半から就職活動を開始。

当初は、自社でサービスやプロダクトを開発しているような、いわゆる「Web系企業」や、大手SIerを中心にエントリーします。

しかし、現実は厳しく、面接では緊張してうまく自分をアピールできず、お祈りメールが続く日々。特に、華やかな実績やリーダーシップ経験を問われるような質問には窮し、自分の地味な学生生活をコンプレックスに感じることさえありました。

周囲の友人たちが次々と内定を獲得していく中で焦りを感じ始めた頃、大学の就職課で紹介されたのが、中小SES企業でした。

会社説明会では、「未経験者でも安心の研修制度」「様々なプロジェクトでスキルアップ」「大手企業の案件多数」といった魅力的な言葉が並んでいました。

当時の私はSESという業態について深く理解しておらず、「IT業界で働けるならどこでもいい」「まずは経験を積むことが大事だ」と安易に考えてしまいました。この選択は今でも後悔しています。

何社か受けたSES企業の中で、比較的早く内定が出た会社に半ば流れで入社を決めてしまいました。   

何も知らなかった私は少しの不安はありつつも、それ以上に期待を抱いていました。「ここから自分のエンジニアとしてのキャリアが始まるんだ」と。

初期(1~2年目):期待と現実のギャップ、最初の壁

入社後、約1ヶ月間の「研修」が始まります。

しかし、その内容は名ばかりで、ビジネスマナーの薄い冊子を渡され、あとは自習という名の放置。数冊の技術書を渡されたものの、質問できる先輩社員は常に忙しそうで、結局は独学で進めるしかなありません。

それでも私は「これが社会の厳しさか」と自分に言い聞かせ、必死に食らいつこうとしました。  

研修が終わると、すぐに最初の客先常駐が始まります。常駐先は、都心から電車で1時間半ほどかかるとあるメーカー子会社の古びたオフィスでした。

私に与えられた仕事は、既存システムのテスト業務。ひたすらExcelのテストケースを消化し、バグがあれば報告するという単調な作業の繰り返し 。大学で学んだ高度な知識やプログラミングで何かを生み出したいという情熱は、ここでは全く必要とされませんでした。

常駐先には、自社の先輩社員が数名いたが、彼らも自分の業務で手一杯で私の面倒を見る余裕はなさそうでした。

一方で客先の社員はどこか壁があり、気軽に話しかけられる雰囲気はありません。自社の営業担当は最初の挨拶に来たきり顔を見せず、何か困ったことがあっても相談できる相手がいませんでした。

「こんなはずじゃなかった…」

私は早々に現実とのギャップに打ちのめされました。それでも「最初のうちは誰でもこんなものだ」、「ここで頑張れば、いつか面白い仕事ができるはずだ」と自分を鼓舞し、黙々と作業をこなす日々が続きます。

残業も多く、平日は帰って寝るだけ。休日は疲労困憊で、趣味だったプログラミングに触れる気力も湧きませんでした。

中期(3~4年目):慣れと諦め、スキルアップの停滞、低賃金と長時間労働

数ヶ月から1年単位で、いくつかの客先を転々としました。

金融機関のデータ入力補助、官公庁のヘルプデスク業務、大手通信キャリアのシステム監視など、どれもエンジニアとしてのスキルアップには繋がりにくい、いわゆる「誰でもできる仕事」ばかり。

たまにプログラミングの機会があっても、それは既存システムのほんの小さな改修や、Excelマクロの作成といった程度。上流工程に関わることなど夢のまた夢でした。  

私は次第に、この状況に「慣れ」ていくと同時に、「諦め」の感情を抱くようになっていきます。

新しい客先に行くたびに、「今度こそは…」と淡い期待を抱くものの、すぐに裏切られる。いわゆる「案件ガチャ」に振り回され、自分のキャリアが運任せであることに絶望感を覚えました。

給料はほとんど上がりませんでした。

手取りは20万円そこそこで、都内での一人暮らしは常にギリギリです。ボーナスも寸志程度。同期で自社開発企業に就職した友人の話を聞くたびに、自分の待遇の低さを痛感しました。

長時間労働も常態化しており、月平均の残業時間は80時間を超えることも珍しくありませんが、その多くはサービス残業として処理されました。自社の評価基準も曖昧で、どれだけ頑張っても正当に評価されている実感はありませんでした。   

スキルアップの機会も乏しかったです。

会社は研修制度を謳っていたが、実際には名ばかりで新しい技術を学ぶ機会は皆無。客先で使われる技術も古いものが多く、市場価値の高いスキルは身につかない。このままでは、数年後には使い物にならないエンジニアになってしまうのではないかという強い危機感を抱いていました 。  

心身の不調と限界

度重なる長時間労働、パワハラ、キャリアへの絶望感から、私の心身は徐々に蝕まれていきます。

慢性的な頭痛、胃痛、不眠に悩まされるようになり、休日はベッドから起き上がれないことも増えたました。大好きだったプログラミングにも全く手が伸びなくなり、表情からは笑顔が消え、友人との連絡も途絶えていきました。

ある日曜日の夜、翌日の出勤を考えると激しい動悸と吐き気に襲われ、布団の中で震えが止まらなくなってしまいました。「もう…無理だ…」 心の中で何かがぷつりと切れる音がしました。

そしてついに、私の心身は限界を迎えました。ある朝、通勤電車の中で意識を失い、倒れてしまったのです。

幸い大事には至りませんでしたが、この時初めて「このままでは本当に死んでしまう」という恐怖を感じました。

医者からは「過労とストレスによる自律神経失調症」と診断され、休職を余儀なくされました。

「このままでは本当に自分が壊れてしまう」

私は初めて本気で「会社を辞める」ことを考え始めます。それは、入社してから4年が過ぎた、26歳の冬のことでした。

転職への決意

退職しようと意思を固める

前々から会社の対応には不満がありました。

体調不良を訴えても、営業担当からは「人手が足りないからもう少し頑張ってくれ」と言われるだけ。有給休暇の申請も却下される。会社は自分の健康よりも、目先の利益しか考えていないのだと痛感しました。

この会社にいても、自分の未来はない。そう確信した私は退職の意思を固めます。

情報収集と自己分析

しかし、退職を決意しいざ転職活動を始めようにも、何から手をつけていいか分かりません。自分のスキルシートを見返しても、胸を張ってアピールできるような経験はほとんどない 。

「こんな自分でも、まともな会社に転職できるのだろうか…」

不安で押しつぶされそうになりながらも、健太は夜な夜な転職サイトを巡り、IT業界の求人情報を読み漁りました。

そこで、同じようにSESで苦しんでいた人たちの体験談や、優良企業の見分け方といった情報に触れました。特に、自分と同じような状況から抜け出し生き生きと働いている人の話は、暗闇の中に差し込む一筋の光のように感じられたのを覚えています。

まず私は自己分析から始めました。

自分が本当にやりたいことは何なのか、どんな働き方をしたいのか、どんなスキルを身につけたいのか。

そして、これまでの経験の中で辛かったこと嫌だったことを徹底的に洗い出し、それを裏返すことで「やりたいこと」を明確にしていきます。

「もう、誰かの指示通りに動くだけの仕事は嫌だ」

「自分の頭で考えて、何かを生み出す仕事がしたい」

「正当に評価され、成長できる環境で働きたい」

気づくと、学生時代に抱いていた「IT技術で何かを創造したい」という純粋な思いが蘇っていました。

転職活動の苦労と工夫

転職活動は困難を極めます。

書類選考で落とされることは日常茶飯事。面接に進んでも、これまでの経歴について深掘りされると、言葉に詰まってしまうことも多かったです。

特に「なぜ4年間もその会社にいたのですか?」「そこで何を学びましたか?」といった質問には、胸を張って答えられるものがなく悔しい思いをしました。

それでも私は諦めなかった。

勇気を出して転職エージェントにも登録し、キャリアアドバイザーに自分の経歴を赤裸々に相談しながら応募書類の添削や面接対策を徹底的に行いました。

これまでの経験をネガティブに捉えるのではなく、「劣悪な環境でも責任感を持って業務を遂行してきた忍耐力」、「多様な(たとえスキルにならなくても)現場を経験してきた適応力」といったポジティブな側面に光を当てるよう工夫しました。

また、不足しているスキルを補うため、週末や深夜の時間を使って独学でプログラミングの勉強を再開しました。

興味のあったWeb系の技術を中心に、オンライン教材や技術書で学び、簡単なポートフォリオも作成しました。それは、自信を失いかけていた私にとって、小さな成功体験を積み重ねる貴重な時間でもあった。

転職後の人生

約半年間の苦しい転職活動の末、私はついに自社開発も行う中堅IT企業から内定を得ることができました。

入社の決め手は、面接で感じた社員の雰囲気の良さと技術を大切にする社風。そして何よりも「◯◯さんのこれまでの苦労を理解した上で、うちで新しいキャリアを築いてほしい」という温かい言葉でした。

新しい職場環境と業務内容

現職はSES事業も一部行っているものの、主力は自社サービスの開発と受託開発です。

私は自社サービスの開発チームに配属されました。そこでは、要件定義から設計、開発、テスト、リリース、運用まで、一貫してプロジェクトに携わることができています。  

最初は、これまでの経験とのギャップに戸惑うことも多かったです。

会議では専門用語が飛び交い、先輩エンジニアたちの技術レベルの高さに圧倒されました。しかし、周囲のメンバーは私を温かく迎え入れてくれて、分からないことは丁寧に教えてくれました。チーム内でのコードレビューや勉強会も活発で、日々新しい知識や技術を吸収できる環境です。  

私は、自分が書いたコードが実際にサービスに反映され、ユーザーに使われることに、これまでにない大きなやりがいと喜びを感じました 。

自分の意見やアイデアが尊重され、チームの一員としてプロジェクトに貢献できているという実感。それは、客先常駐時代には決して得られなかったものでした。

給与・待遇・労働条件の改善

給与は、転職と同時に大幅にアップしました。

年収は約320万円から450万円になり、その後も成果に応じて順調に昇給し、3年目には550万円を超えました。

残業時間は月平均20時間程度に激減し、サービス残業も一切なくなりました。

休日もしっかりと確保され、有給休暇も気兼ねなく取得できる。福利厚生も充実しており、資格取得支援制度や書籍購入補助などを活用して、積極的にスキルアップに取り組むことができています。   

精神的な安定と自己肯定感の回復

何よりも大きかったのは、精神的な安定と自己肯定感の回復です。

理不尽な指示やパワハラに怯える日々はなくなり、安心して仕事に集中できる環境。自分の仕事が正当に評価され、仲間から頼りにされる喜び。私は徐々に失いかけていた自信を取り戻し、以前のような明るい表情で笑えるようになりました。

夜もぐっすり眠れるようになり、慢性的な体調不良も今は改善しています。

ワークライフバランスの実現と新しい趣味

仕事が充実する一方で、プライベートの時間も格段に増えました。

平日の夜や週末には、学生時代のように技術書を読んだり、個人でアプリ開発に挑戦したりする時間も持てるようになりました。また、会社の同僚に誘われて始めた観葉植物を育てることが新しい趣味となり、心身のリフレッシュに繋がっています。

友人との交流も復活し、時には昔のようにゲームで夜更かしすることも。家族との時間も大切にできるようになり、以前は心配ばかりかけていた母親を、最近では旅行に連れて行くこともできました。   

現在の価値観と将来の展望

29歳になった私は、現職でエンジニアとして3年目を迎えています。

客先常駐時代の4年間は私にとって暗黒期であり、失われた時間のように感じることもあります。しかし、あの過酷な経験があったからこそ、今の幸せをより強く実感できるのかもしれないとも思うようになりました。

現在は「自分自身が納得できる仕事をし、成長し続けること」、「周囲の人と良好な関係を築き、互いに尊重し合える環境で働くこと」、「仕事とプライベートのバランスを保ち、人間らしい豊かな生活を送ること」に重きを置いています。

将来の展望としては、現在の自社サービス開発において、より上流の企画段階から関わり、ユーザーに本当に価値のあるものを提供できるエンジニアになりたいと考えています。

また、チームリーダーとして後輩の育成にも携わっていきたいという思いもあります。客先常駐時代に自分が経験したような辛い思いを、若いエンジニアにはさせたくないという気持ちが強いです。

そして、いつか自分自身のアイデアで、世の中を少しでも良くするようなサービスを生み出したいという、学生時代からの夢も持ち続けています。このブログを始めたのも「私のように客先常駐で辛い思いをしている人を1人でも減らしたい」という思いがきっかけです。

いつか、客先常駐で浪費する人々を減らせるように自分で転職支援サービスを作るのが夢です。この夢のために、今はブログでのアウトプットや近い将来だとキャリア相談に乗ることも考えています。

昔の私と同じように辛い思いをしているあなたへ

今、この記事を読んでいるあなたも、かつての僕と同じように、客先常駐の辛い環境で苦しんでいるのかもしれません。

その辛さ、痛いほどよく分かります。でも、どうか諦めないでください。

僕にもできたのですから、あなたにもきっとできます。一歩踏み出す勇気さえあれば、人生は変えられます。大切なのは、自分自身を見捨てないこと。そして、現状を変えようと行動することです。

まずは情報収集から始めてみてください。どんな会社があって、どんな働き方があるのか。世の中には、エンジニアを大切にし、成長させてくれる企業が必ずあります。

知ることで、道は開けるはずです。

あの時、勇気を出して一歩踏み出したことが、僕の人生を救ってくれました。あなたのその一歩も、きっと未来を変える力になります。自分を大切にできる場所を、見つけてください。応援しています。

長文になってしまいましたがここまで読んでいただきありがとうございます。読者の方の成功を心から祈っています。

コメント